大なり小なり起きていることだと。

北朝鮮がミサイルを打ってきて日本国を通過し落下したことで思うこと。
北朝鮮がアメリカとの駆け引きを行っている、こういう状況は世の中にも
大なり小なりある、仕事や政治、学校などの人間関係などにも起きることだと
傍から見ればどちらが優勢でどちらが不利な立場などかなどわかっているのに
強いほうが対話せずに圧力をかけていくと弱い立場の人間が不利になり暴走していく。
強い立場の人間が追い詰めていくと最終的にこうなるてっ事が
良い例がいまの北朝鮮だと言える。

これって原因と結果だと思います。
結果、暴走すると誰も良い方向には進まない。
権力を持っている立場が何処まで冷静で賢い対応できるかなど
これからの動向に注目です。

おはよう世界、おはおー_(:3」∠)_

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人生が変わる朝の言葉という本がある。
先日、その本を購入したんだけど予想に反して
文字の量が多かった。

値段は安いのに文字の量が多かったので
この本・・・元が取れるのか心配している。
そんな、本の一節にこんな言葉がある。

人間が変わる方法は3つしかない。
ひとつは時間配分を変える。
2番目は住む場所を変える。
3番目は付き合う人を変える。
この3つの要素でしか人間は変わらない。
もっとも無意味なのは
「決意を新たにする」ことだ。
BY:大前研一(経営コンサルタント)

引用元:人生が変わる朝の言葉:著ひすい こたろう

この言葉の中で「はっ」としたのが
もっとも無意味なのは「決意を新たにする」ことという節。
確かにそうだな、大体、決意を新たにすることで
人間変わっていけば良いだけど、人はそうは出来ていない。

人が変わる方法という言葉はそれが以外でも
通ずる所があると思う、例えば目標が達成できない人、
そんな人にも当てはまる言葉じゃないだろうか?

2016-12-05-05-49-11-2

馬鹿なことが言えるぐらいの環境でないと駄目だ。

馬鹿なことが言える環境でないと駄目だ

この記事が投稿が公開されている頃には温度が少しでも
下がっていて欲しいものです。扇風機だけでは耐えれない温度が
続いていますよね。

今日のお題は「馬鹿なことが言えるぐらいの環境でないと駄目だ。」です。
これはホントそう思うです。
簡単にいえばちょっとした洒落が言えない環境は
全然面白くもない環境だといえますし
そんな中で出てきたアイデアなんてものは
誰でも考えうるアイデアだと。

頭でっかちな人間が集まると
ガチガチに規則でがんじがらめにしていまい。
最後には何も意見の言えない環境になってしまうのです。

少しぐらい馬鹿なことが言える環境を
残して置かないと良い物や良い発想は生まれません。
遊びの中からアイデアなんていうものは
生まれてくるものなのですから。

ロボットが労働を代替してくれる?

ロボットが労働を代替してくれる?
そんな未来が徐々に近づいてきているように、この動画を
見て感じますが、すぐさまロボットが
労働を代替してくれるようなことは無さそうです。

労働というものは、いずれは
人からロボットへ置き換わることは
有りえる分野だとこの動画を見て感じました。

人間の仕事を奪われたとしても
おそらく宇宙という最後のフロンティアが
残っている限り、ひとの仕事は
無くなりそうにないです。

おそらく、ロボットが労働の代替に
なった頃には、企業は宇宙産業へ
シフトしていくように思います。

文明が発展しても
お金というものがあるかぎり、仕事は
無くなりそうにないです。

映画:インターステラーを観て(´Д`)感想なんかを。

映画『インターステラー』オフィシャルサイト

インターステラーを観て淡々としたストーリー展開でしたが、内容や映像は圧巻でした。全体を通しては徐々に面白さが増すというような映画です。※但し全体を通して暗いイメージが拭えない映画かなと思いました。2001年宇宙の旅のような映画といえばイメージが付くかなと思います。物静かな感じの内容といったらよいかわかりませんが?、観ていると人間の深層心理を感じるところがあります。今まで観た映画とはぜんぜん違う内容の映画でした。

総合的まとめるとこのインターステラー、若干暗めで単調な映画です。人によりけりな映画です。ぜんぜん面白くないと感じるか、なんかすごかったと感じるか二極化的な映画だと感じます。

ちなみに2001年宇宙の旅は観てません・・・・。

家族でも他人だという言葉が印象的だった宮崎吾朗監督。

家族でも他人だという言葉が印象的だった宮崎吾朗監督。そのまま、取れば何だか寂しい言葉ですが、この言葉には前後があります。一人の人間として敬意を払うという事を忘れていけないという意味が込められています。人(子供でも)は、それぞれ考え方があり性格があります。それを尊重しなければいけないという事です。間違っていることは指摘し、良い所は認めるという事です。

 

まだ東京で消耗してるのを書いているイケダハヤトさん{現在:高知在住}

まだ東京で消耗してるの?
イケダハヤトさんという人物を実は今まで知らなかった自分。高知県にブロガーさんが住むっていう話を新聞で見て即RSSに登録したのですけど、最初はどうかなと思って見てましたけど、先日の記事を読み、この人の印象が変わりました。それなりに有名な人は人間ができているのだなと感じました{下記の内容を読んでなるほどなと感じました}。

ぼくが名指しの他者批判をネットで書くのをおすすめしないのは、あなたは、記述したようになるからです。攻撃的な、侮蔑的な記述をすれば、あなたはリアルな社会でも、そういう人間になっていきます。

内田樹先生の言葉を借りれば、それは「呪い」としてあなたにまとわりつくでしょう。呪縛を解除するためには、他者を祝福するしかありません。

「呪い」は今や僕たちの社会では批評的な言葉使いをするときの公用語になりつつあります。「弱者」たちは救済を求めて呪いの言葉を吐き、「被害者」たちは償いを求めて呪いの言葉を吐き、「正義の人」たちは公正な社会の実現を求めて呪いの言葉を吐く。けれども、彼らはそれらの言葉が他者のみならず、おのれ自身へ向かう呪いとしても機能していることにあまりに無自覚のように思われます。

↑イケダハヤトさんと内田樹先生の言葉を抜粋。

ネット上では他者批判を結構みかけます。匿名の怖さかも知れないのですが、リアルもネットも同じように振る舞いを行わないと駄目だということ、匿名になり攻撃的になったりするとやっぱりそれは、自分にかえってきます。むしろ顔の見えないネットのほうがリアルよりも言葉を選ばないといけないと思います。この記事を読んでいて自分は、イケダハヤトさんもネット上で起こるひと通りの問題を経験したからこそ、この言葉が言えるのだなと自分は思います。人っていうのは自分で経験するとよく理解するもので、そしてそれが自分の糧になるのだなと記事を読んでいて実感しました。