何か「あっそうだ」って思えた。

「あの人は、言っていることとやっていることが矛盾している!」と怒るあなたは、人間についての理解が浅すぎる   まだ東京で消耗してるの?

イケダハヤトさんの言っていること全てに「あっそうだ」って
思えないけれど、今回の記事は「あっそうだ」って思えました。
内容は下記です。

ぼくはしばしば「言っていることとやっていることが矛盾している!」と怒られます。
でも、それは矛盾していないんですよ。

ですが、十中八九、そういう意見は「的外れ」なんです。

あなたにとってぼくが矛盾しているように見えていても、ぼくのなかでは「矛盾していない」んです。要するに、あなたは一方的な勘違いで怒っているのです。エネルギーの無駄遣い、お疲れ様です。まだ東京で消耗してるの?

人は、「見たいようにしかものを見ません」。ゆえに、あなたが誰かを批判するときは、「自分は見たいようにしか見ていない」ことを前提にすべきです。
そうでないと、世界は矛盾だらけに見えて、憎悪にとらわれてしまいます。あいつは矛盾している!あいつも矛盾している!正しいのは私だけだ!という具合に。

あなたが感じる以上に、人は矛盾していません。あなたが勝手に「矛盾」という意味づけをしてしまっているだけです。要するに、鈍感で傲慢で無知なのです。わかりましたか?

引用:イケダハヤト http://www.ikedahayato.com/20151024/42404643.html

そうなんです。自分もそんな感じですね。
自分なんて説明するのが面倒くさいので、
人に勘違いばかりされますが、ほっといてます。ε-(´∀`*)
過去に言った発言と今の想いが違うということは
人間誰しもあると思います。

そんな感じで・・・この言葉に、なんか救われた気がします。
んで、過去に言った言葉にずっとしがみついている人が
世の中にはいますよね。自分は、そんな無駄な労力と時間が
勿体無いなと思ってしまいます。

そんなに、しがみついていると抜け出せなくなるよと
思ってしまう性ですが、その事に対して
この頃は言わないようにしています。

ちなみにイケダハヤトさんより自分は若干、歳上ですが
下も上もない考えの中で生きている人間です。
だだ、親しき仲にも礼儀ありとも思ってます。
こういうの事が、矛盾しているって言われる原因ですが
自分の中では矛盾していないのです。

映画、ボクは坊さんを観てきましので感想なんかを #映画レビュー #ボクは坊さん

映画『ボクは坊さん。』公式サイト

映画、ボクは坊さんを観てきましので感想なんかを残しときます。

ボクは坊さんは、ゆるりとしたヒューマンドラマを見たという感じです。
お客さんもまばらでしたけど、自分は嫌いではないお話だなと
感じました。実話を基にしたストーリーなので
何だか、すこし残酷な気もしましたが、その中にも
人の暖かさがあって良かったなと思えます。

ちなみに、舞台となったのは57番札所、栄福寺(愛媛県)です。
http://www.eifukuji.jp/

ちゃっかり、HPで映画の宣伝しているところなど今どきなお坊さんだなと
思えます。この映画で言わんとしている事をまとめると
お坊さんを通して人の心の成長を描いたお話です。

※自分が好きなキャラは檀家の長老役のイッセー尾形さんです。
お坊さんより檀家の長老の言葉が、いろいろと自分の心に響きました。
まさに雲のような存在です。

追記:四国は先行上映だったので
一足早く映画「ボクは坊さん」が見えました。県外は10月24日から上映です。
四国をテーマにした映画や話題がこの頃、増えてきている感じです?
高知では今月の31日に高知の四万十がを舞台にした映画、
あらうんど四万十〜カールニ・カーラン〜」が全国に先駆けて
先行上映されます。おそらく、高知県では満員御礼になりそうな予感です。

自分は舞台挨拶とか良いのでその日を避けて観に行くつもりです。
観たら、また記事投稿します。

まだ東京で消耗してるのを書いているイケダハヤトさん{現在:高知在住}

まだ東京で消耗してるの?
イケダハヤトさんという人物を実は今まで知らなかった自分。高知県にブロガーさんが住むっていう話を新聞で見て即RSSに登録したのですけど、最初はどうかなと思って見てましたけど、先日の記事を読み、この人の印象が変わりました。それなりに有名な人は人間ができているのだなと感じました{下記の内容を読んでなるほどなと感じました}。

ぼくが名指しの他者批判をネットで書くのをおすすめしないのは、あなたは、記述したようになるからです。攻撃的な、侮蔑的な記述をすれば、あなたはリアルな社会でも、そういう人間になっていきます。

内田樹先生の言葉を借りれば、それは「呪い」としてあなたにまとわりつくでしょう。呪縛を解除するためには、他者を祝福するしかありません。

「呪い」は今や僕たちの社会では批評的な言葉使いをするときの公用語になりつつあります。「弱者」たちは救済を求めて呪いの言葉を吐き、「被害者」たちは償いを求めて呪いの言葉を吐き、「正義の人」たちは公正な社会の実現を求めて呪いの言葉を吐く。けれども、彼らはそれらの言葉が他者のみならず、おのれ自身へ向かう呪いとしても機能していることにあまりに無自覚のように思われます。

↑イケダハヤトさんと内田樹先生の言葉を抜粋。

ネット上では他者批判を結構みかけます。匿名の怖さかも知れないのですが、リアルもネットも同じように振る舞いを行わないと駄目だということ、匿名になり攻撃的になったりするとやっぱりそれは、自分にかえってきます。むしろ顔の見えないネットのほうがリアルよりも言葉を選ばないといけないと思います。この記事を読んでいて自分は、イケダハヤトさんもネット上で起こるひと通りの問題を経験したからこそ、この言葉が言えるのだなと自分は思います。人っていうのは自分で経験するとよく理解するもので、そしてそれが自分の糧になるのだなと記事を読んでいて実感しました。